左図は貯熱量(海面から深度300mにおける鉛直平均水温)偏差の複素主成分解析結果(℃)(長谷川[2004; 青葉理学振興会賞記念講演]より引用)を示す。
最上段の図はラニーニャ期間中の貯熱量偏差を示す。通常よりも低い貯熱量(冷たい水)が東部赤道太平洋に存在する。一方、フィリピン海付近の西部太平洋には、
通常よりも高い貯熱量(暖かい水)が存在する。この状態から約半年後(上から2段目の図)では、この暖かい水が赤道に沿って、東向きに移動している様子が分かる。
東部赤道太平洋に分布していた冷たい水は、北太平洋の赤道よりも高緯度帯(北緯10度から20度付近)に沿って北アメリカ沿岸から西向きに移動する様子が分かる。
さらに約半年後(上から3段目の図)では、この暖水の東向き伝播と冷水の西向き伝播がより進行している。この状態から約半年後(はじめのラニーニャから約1.5年後)
の状態(上から4段目の図)では、東部赤道太平洋域に暖水が到達し、西部赤道太平洋に冷水が到達する様子が分かる。東部赤道太平洋に暖水が到達することにより、
東部赤道域の海面水温も上昇し、エルニーニョ状態となる。西部太平洋に到達した冷水は、これまでに暖水が示したように、やがて東進を開始し、次のラニーニャを引き起こす源となる。
このように貯熱量を観察することによりエルニーニョと関係して暖かい(あるいは冷たい)海水の移動する様子を知ることができる。
海面水温や大気場に加えて、貯熱量を解析することにより、エルニーニョ現象に関係した気候システムの理解が深まる。
また、左図に示したようにエルニーニョ発生前には西部赤道域から暖水が東進するので、貯熱量を観察することは、エルニーニョ現象を予測する上でも貯熱量は重要である。
理論的な研究や限定的な観測に基づいて、エルニーニョに関係する貯熱量の重要性は数十年以上前から指摘されてきたが、計算機資源などの制約から1990年代以前には
十分な解析を行うことが不可能であった。データセットが準備されたはじめた1990年代から貯熱量の研究は徐々に行われ始めた。また、エルニーニョ現象やさらにタイムスケールが長く、地球温暖化にも関連する長周期変動に関係する貯熱量の振る舞いが明らかにされてきたが、まだ不明な点は多い。
筆者は、貯熱量に焦点を当てた研究を行うことによって、エルニーニョの発生や終焉には貯熱量の東西方向の伝播や南北方向の移動が関係すること、フィリピン海における貯熱量変動が海面水温や大気場の変動と関連することによって、次のエルニーニョの発生に重要な役割を果たすこと、準10年スケール変動にもエルニーニョに関係する貯熱量とよく似た経路を伝播する貯熱量の信号が見られることなど、多くの知見を得る研究を行った。これらの研究から、海面水温のみからでは分からない海洋表層の変動を貯熱量を通じて観察することによって、エルニーニョや長周期変動の物理メカニズムの理解に貢献した。
さらに、最近ではパプアニューギニア沖に発生する沿岸湧昇とそれに関係する低海面水温がエルニーニョ発生に与える影響について研究を行っている。2002/03年エルニーニョの発生前に、パプアニューギニア沖沿岸湧昇によって運ばれた冷たい海水がパプアニューギニア沖から西部赤道太平洋に北東方向に拡大する様子を歴史データ、衛星データによって指摘した。さらにトライトン係留ブイデータや地球シミュレータで計算された高解像度モデル(OFES)実験結果出力を用いて熱収支解析などを行うことによって、この冷たい海水に関係する東向きの負の熱移流によって西部赤道太平洋の海面水温が低下することを示した。さらに、この領域で海面水温が低下することによって暖水プール上に正の海面水温東西勾配が出現することを指摘した。この正の海面水温東西勾配は下層大気の変化を導き、エルニーニョ発生(暖水プール東進)に重要な西風を強化することが期待される。実際に、大気再解析データを調べることによって、この時期に西風が強化する様子を確認した。このように沿岸湧昇という局所的な海洋変動が西部赤道域の海面水温低下を導くこと、それがエルニーニョ現象発生に影響する可能性を初めて指摘した。さらに、観測データが不足している期間においてOFES出力を解析することによって、2002/03年エルニーニョ以外のエルニーニョについても、その発生前にパプアニューギニア沖沿岸湧昇が通常よりも強まることを指摘した。また、ビスマルク海における局所的な海洋表層循環がパプアニューギニア沖沿岸湧昇に関連して発生し、湧昇に関係する冷たい海水を赤道域に輸送する役割の一部を担っていることをOFES出力や船舶観測データ(ADCPデータ)などにから指摘した。